ミクロとマクロのコレスポンダンス
この一年半もの間、世界的危機のなかで社会を支えてくださっている医療従事者、エッシェンシャルワーカーのみなさまに何よりも先ず心より御礼申し上げます。コロナ禍で私たちの行動が制限され世界が断絶されて以来、新しい社会構築を目指す試みが様々な分野で生まれてきました。音楽の世界でもライブ配信などのプラットフォームが広まりつつありますが、そのような社会的展望を考察することはまた別の機会に譲り、ここでは一音楽家として個人的な体験に根差したいまの率直な想いを綴りたいと思います。
昨年3月、私はカンボジアの学校で子どもたちを教えていました。そのまま世界ツアーに飛ぶ予定が全てキャンセルとなり、何十回もの生きる場を失った悲しみを抱え帰国しました。けれどもぽっかり空いた時間を過ごすうち、空の移り変わりや風の流れ、花や木々などの自然の美しさに気づくことができ、さらには積読本を読み始めたりフォームや基礎を見直したりと、期せずしてサバティカル期間に恵まれることとなりました。
世界は狭くなってしまったけれど、見方次第で無限に広がる。こんな風に感じられたのはきっと、日々音楽をすることで感覚が開かれ、作品を通して作曲家と対話するなかで、幾たびもの疫病をも乗り越えて今に生きる時空を超えた命を与えてもらっている賜物なのだろうと思います。
カンボジアでのできごとを一つご紹介します。音楽教科のないこの国で、身の周りにある音を聴いてみようという授業をしてみました。街は非常に騒々しいので、子どもたちはみな工事の音、車やサイレンの音などと答えていきます。しばらくして喧騒に混じった葉のざわめきや鳥の鳴き声が聴けるようになると、落ち着きのなかった子も穏やかになり、内なる静寂に満たされるなか、隣の子の呼吸の音や自分の心臓の音が聴こえてきたという子まで出てきました。
この一度きりの体験が何を残せたのかはわかりませんが、身体を使い五感を開き、世界や他者に息吹く美しさや、自分の内側にある世界の尊さに気づくとき、子どもたちが見る世界はこれまでとはまったく違うものになることでしょう。
伝染の病は目に見えないゆえに恐怖を感じますが、見えない世界への夢想や憧れまでも失ってしまったら私たちは幸せになれるのでしょうか。創造は想像から生まれるというように、人が産み出し作り出すすべてのものは、目に見えない意識の奥底から湧き出でます。
世界が私たちの意識の現れであるとしたら、人々の内的世界が美しくなればなるほど外的世界も美しくなっていくのでしょう。そして、その美しい内的世界は思考の産物ではなく、感情や身体感覚を伴った全人的なものから芽生えます。音楽や芸術が人々にとってなぜ必要なのかという答えのひとつが、ここに見つけられるのではないでしょうか。
コロナ禍で私たちは多くのものを失いましたが、同時に沢山の大切なものに気づけました。この先、コロナを乗り越えた私たちはきっと今までよりもっと素晴らしい世界を創造することができるようになるでしょう。こんな風に人類の未来を信じる強さも音楽から与えてもらいながら、ふたたび演奏を通して世界と、人々と繋がれることを願っています。
フルーティスト 古川はるな/CCC HUB登録クリエーター
<このコーナーは個人の見解リポートです>