静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター(CCC)

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Creative NOW先が見えない時ほど未来は明るい事が多い

~やりたい事しかやらないと決めた日から~

CCC HUB登録クリエーター 白砂勝敏

20代前半に人生一度きりだし、やりたい事しかやらないと決めて、あてもなく7~8年程の間、仕事をしては放浪するという生活を送っていた。それが数年後、意味を持ち始める事になる。

明確な目標をもってそれに向かって進んで行けば社会的な成功につながるという事もなんとなく感じていたが、それよりもその時々の感情を優先するように生きてきた。もちろんうまく行く事行かない事どちらも沢山あるのだけれど、自分に偽りなく生き、先を見越して蓄えるよりも、今この瞬間を全力で生きたいと思って生きて来た。

子供のころから美術(アート)にふれる事は殆どなく、興味を持ったことなどない。それが35歳の時、初めていった美術館で声をかけられ良くわからないままに個展を開催していただいたのが始まりで、人生が思いもよらぬ方向へ急展開していった。それまで何をしても、周りよりはみ出し気味で怒られたり、誰かに迷惑をかけることが多かったのだが、美術界ではそれを個性と呼び、褒められたりする。なんならもっとやれという。
自分を解放することが許される。感じたことを感じたままに現わせる。

そんな生活を13年続けて幾つか気付いたことがある。感性を磨く事は自分の人生を豊かにするという事。感性は持って生まれたものもあるだろうが、経験から培われる事も多くある。
感性を豊かにすることで日々起こる事象を多角方向から見る事が出来るようになっていく。それは時に最悪な出来事も捉え方を変える事でチャンスに変換することを可能にしてくれる。

私はサバイバルに強い関心があったので西表島のジャングルに分け入り、数か月ほど一人で生活してみたりと自然界に入りこむ事が好きだった。私にとって、自然界はゆっくり、だけど多くの物を与えてくれる大いなる師匠のように感じている。先入観をあまり持たず、その場所の空気を吸い、季節や色彩や海の音や温度を肌で感じる事が感性を養うと今なら理解できる。
とにかく何かわからないけれど何かを求めていた。それは未知の体験や、出逢いなど様々な物だったのだが、その当時はきっとそれすら良くわかっていなかった。自分が何者か分からず悶々としていた。何になりたいのかなんて中々見つかるもんでもない。だから色々な事をやってみた。周りにはあまり理解されず一つの事が出来ない奴は何もできないぞとよく言われたし、遊び人のようにとらえられていたと思う。ところがアートに出逢い物事が形となって現れるにつれ、「お前はいいよな自由に生きられて」っと自分は変わらないのだが周りの意見が変わっていく事に気付いた。そんな風に日々を重ね20~30年がたった今、相変わらず行先は真っ暗なのだが振り返ると確かに道ができている。

私の拙い経験や自論がこれから何か未知の世界へチャレンジしようとしている方に少しでも良い刺激を与える事ができたらこんなに嬉しい事はない。

私は、先が見えない時ほど未来は明るい事が多いいのではないかと思っている。

美術家・演奏家 / 白砂勝敏


<このコーナーは個人の見解リポートです>


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